韓国人彼氏Y君とアラサーOLの日々

年下韓国人彼氏Y君とアラサーOLクロサワの恋愛と日々。2015年6月日韓夫婦になりました。

Y君のお父さんが亡くなりました

Y君のお父さんが亡くなりました。 ツイッターにもブログにも書きましたが、私がY君の妻になった瞬間からものすごく可愛がってくれ、娘のことも死ぬほど可愛がってくれていたY君のお父さんでした。

元々10年前からガンを患っていて、今年の夏にソウルの病院に入院してからは毎日のようにビデオ通話で娘の様子をニコニコ見て、動画を撮って送る家以外の娘の様子も楽しみにしてくれ、「予防接種でわんわん泣く孫の様子も可愛いかった」とか「夢に娘が出てきたよ、現実にはいなくて寂しかった」とかこまめにカカオのメッセージをくれていました。

私とY君も、娘とどこかに行ったり、何かができるようになる度に「この娘の様子を動画に撮ってお父さんに送ったら喜ぶだろうな」と常に考えて動画や写真を撮りまくっていました。

私たちは、夏に家を買いました。Y君のお父さんは入院が長引いてはいたのですが、いつかまた元気になるから、その時は絶対行くからねとY君のお父さんも、Y君も私も成長した娘の様子を見せられるなと楽しみにしていました。

ところがある日深夜にお母さんからビデオ通話がかかってきました。 Y君のお父さんが苦しそうにY君、私、娘の名前を何度も呼んでいました。あまりの突然のことにびっくりしつつ、これはもう危ないのだと思い、その日朝4時にタクシーで羽田空港からソウルに向かいました。 普段は感情にブレのないY君が珍しく気が急いていて、バスを待つ時間もじりじりとしていました。

無事病院に到着するとY君のお父さんは呼吸器を付けられていました。話せなかったのですが、私と娘の様子を見て目だけニッコリしましたが、娘はビックリしてしまったのか、泣き出してしまいました。

Y君のお父さんは肺炎を起こしてしまっていたのですが、呼吸器をつけたことで、容態が一旦は安定したらしく、Y君のお母さんとY君のお兄さんとソウルにあるY君のお兄さんの家に一度帰りました。

Y君が言うには、呼吸器をつけて肺炎が治るのを待つみたい、とはいえ肺炎が治ったとしてももう効く抗がん剤がないから長くは生きられない、と。 とりあえず一旦は体調安定したから、明日の飛行機で日本に帰ろうと言われ、飛行機のチケットを取った翌早朝、容態が急変して亡くなってしまいました。

悲しむ間もなくテグに帰り、バタバタと準備をして葬儀に出ました。 Y君のお父さんが元気に娘を見てくれていた最後のビデオ通話の日、娘が子ども番組の踊りをすこし踊れるようになっていたので、ビデオ通話でも見てほしいと思って、通話中にテレビで曲を流したのですが、ご機嫌ななめだったのか全く踊らず床にゴロゴロしていた娘。 なのに、祭壇の前では元気にやって見せていて、お父さんが元気だった時に見せたかったなと思い、苦しくなりました。

Y君は葬儀中は割と冷静でしたが、お母さんが「お父さんは入院中、孫の写真に散歩に出たりするときは「行ってくるね」、戻ってきたら「戻ってきたよ」とか、ことあるごとに話しかけてたよ」と話したときは声を出して泣いていました。 私は言葉もほぼわからず、動きたがる1歳児を連れての葬儀は、お父さんが亡くなったことを悲しむ間もなく、怒涛のように終わりました。